卒業、そして・・・

娘が5月に大学を無事卒業しました(ほっ・・・)。思い起こせば長い道のりでした。

 

訳が分からずナーサリー探しに奔走した1995年。今のようにインターネットがあれば、きっと何倍も

簡単だっただろう学校探しも、当時は頼みの綱はイエローページのみ(泣)

周りに相談する相手なし、同じ年頃の子供を持つ友人・知人なし、土地勘なし、本当に真っ暗闇(あるいは真っ白け)の中を手探りで歩く状態です。

「かかりつけの小児科医に聞くと良い」とどっかに書いてあったので、娘の担当医に聞くと物凄い月謝の高いプライベートスクールを紹介されました。そりゃそうでしょ!奥さんが小児科医、旦那さんが会計士というフィリピン人夫婦が薦める学校は、そりゃお金持ちの行くところでしょ。日本人は金持ちだ!という意識があったのかも。でも我が家は駐在でもなく、ただ長くいる永住者です(汗)。

言われるままに学校見学に行って、お城のようなロングアイランドにあるその学校を見るや否や、踵を返して帰宅したのを覚えています。

初めての子供、そして女の子、「パブリックはよくないよ~」なんていう風の噂を小耳にはさんだ私は、こりゃ絶対プライベートだな・・・。

決めた学校は何と!カソリックスクールでした。

 

結局カソリックでもない我が家が、娘をナーサリーから中学校まで、規律正しい、良家のご子息が行くような、制服も気品ある、カソリックスクールに通わせたのであります(世間知らずもはなはだしい)。

でもお陰さまでよい先生、よい友達に恵まれ、最も優秀な生徒に選出されて卒業したのです。

東洋人のまるでいない、白人オンリーの学校でした・・・

 

高校はFAMEで有名なFiollero H.Laguardiaです。ダンス専攻です。倍率40倍の難関突破です。

まさかの合格でした。で、ここはパブリックなので、様々な人種がいて、様々な生活水準があって、パークアヴェニュー沿いの超高級アパートに住む者から、プロジェクトやシェルターに住む者まで、

さすがNYです。でも才能は皆ピカイチです。芸術を学ぶ選りすぐれた子供達の、最高の環境です。

リンカーンセンターとジュリアードに囲まれた、これまた立地条件も最高の学校でした。

 

そして大学・・・Marymount Manhattan Collegeはアッパーイーストの、これまた高級住宅地にあります。ここでもダンス専攻です。生徒は品の良い、金はあるぞ!という白人の中の白人ばかり。

うちの娘は白鳥の中のあひるのような存在でした。最初は自分の居場所を見つけるのにかなり戸惑った様子で、殆どが他州や他国から来ている生徒達なので、慣れ親しんだニューヨーカーとは全てが違う。リズムが違う、スピードが違う、ものの見方も考え方も違う、何とも不思議な感覚だったようです。親として助けてあげる事が出来ず、ちょっとしたジレンマに陥りました。

でも何とかかんとか頑張りとおした4年。大人になりました。

大学っていうのはそういう所。色んな土地から色んな人が集まって、それで世の中を知っていく、そんな場所なんだな・・・って思います。

 

今じゃ、娘に色んな社会や世間や人間や人生の(大袈裟な・・・)からくりを説教される私です。

人の親ながら自分の無知さ加減に恥をかかされている訳ですが、まあ、それでいいんだな・・・子供から教わるのも悪くはないな・・・ってな具合の昨今です。

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